生命力0からの復活の呪文 SAORIKU

自律神経失調症、鬱、多汗症などから復活し、生き生きと生活するために

眠れないので思い出話

私、自分がたまに倒れることあって、そういうとき周りの人はあまり手を差し伸べてくれないから、自分の周りで体調悪い人にはいち早く助けてあげたいといつも思ってます。

 

以前、会社に行く途中で道でバタンと倒れたおじいさんがいた時も、とにかく救急車と思って、震える手で救急車を呼びました。

 

もし、大丈夫だったり、場合によってはタクシーの方が早いかもで、その時は救急車にごめんなさいしてもいいから、まずは救急車呼ぼうって。

 

冬の寒い日だったから、倒れたおじいさんにコートをかけてあげて、何なら何故か手をにぎって励ます(温める)という、孫??誰??みたいなことをしてた。

 

ただでさえ倒れてるのに、アスファルトで冷えたら、ますます弱っちゃう、温めないとと思って。。

 

自分が寒いだけで、倒れることさえあり、その時は、とにかく温めることが回復への近道だから。

 

でも、救急車なかなか来なくて、余計なことしちゃったかな、タクシーの方がよかったかなと不安で仕方なかった。

 

結局救急車で病院に行かれて、その後、大丈夫だったと聞いたから安心したけど、今も元気だといいな。

 

今は私は妊婦マークつけて電車乗ると、2/3くらいの確率で席を譲ってもらえ、とても有り難いし、譲ってもらえたという人の優しさに触れることですごく幸せな気持ちになる。

 

私もマークつけつつも、マークつけて、席の前に立つとこれみよがしで嫌だから、控えめに優先席付近のドア近くに立ってることが多いんだけど、後ろから声かけられて譲ってもらえると本当にあったかい気持ちになる。

 

これからも、助け助けられ、なんかあったかい気持ちになりながら、生きていきたいな。

禁酒をはじめて一ヶ月

禁酒して一ヶ月、思うこと。

 

私は学生時代はバカみたいな飲み方は散々してたけど、毎日晩酌はしなくても平気だった。
仕事のストレス発散に、毎日家で晩酌するようになった。

それは、アル中って言うんだなと辞めてみて思った。一日たりとも、お酒やめるのが耐えられなかった。

 

お酒と料理のマリアージュ〜とか思ってたけど、お酒なくたってご飯は美味しい。

むしろ、お酒から取る糖分?がなくなったからか、甘いものも食べられるようになって、つまり味覚の幅が広がって、美味しいと感じることが増えた気がする。

 

飲んべな時は、甘いもの嫌いなんですぅ〜という自分がカッコイイ?とか思い、飲む分甘いもの食べないからダイエットになってると思ってた。

現実はお酒をやめたら、チョコたくさん食べても、むしろ体重減ってる。

 

体調もなんだかよくなったような気がする?

 

お酒をやめられたのは、私は炭酸水でも雰囲気で酔っぱらえるということが分かったから。

楽しいし、二日酔いにならないし、いいことづくめ。

 

周りに私がシラフだと思って気を使わせちゃうかなと思うくらいだけど。

そこは、相手に理解してもらうしかないなぁー。飲めないけど、飲み会には行きたいんだよね。。。

私は何のために生きているのか

みんな生きて、仕事をしていく中で将来の目標とか、ビジョンを持って、それに向けて頑張っている人の方が褒められますよね。

 

私は、人が自分が何のために生きているのかもよく分からないのに、そんな中で、自分の天職はこれだ、それを実現するために頑張るんだって、明確には頑張れない。

 

頭でいくら人生の目的や意義を考えても、ドロ沼にはまるだけだから、感覚で、なんかこれ好きかも楽しいかもということをやっていきたいと思う。

 

周りから見るとフラフラしてる人に見えるんだろな。

 

今の仕事が楽しいのは、図形とかパズル的な要素があって、私はやっぱり理科が好きだから、こういう仕事が楽しいのかなと思う。

 

なんで、理科が好きなのかといえば、世の中の成り立ちや真理を解き明かすものだからというのに他ならないと思う。

 

太陽は、こうまわってるから、ここから登るんだよ的な。

 

なんだか分からないぼーっとした世界を、少しでもはっきり見えるようになりたいというのが私の生きてる欲求なのかな。

 

学べば学ぶほど、気付きがあって、視界が広がる感覚が好き。

 

だから、大学の時は人間科学を選考して、人間とは何かということを色んな面から勉強してたんだろな。

 

そして、人と触れ合う仕事が好きで、前職では、色んなタイプの人と触れ合って、人間関係を学べて良かったと思う。

 

パワハラで鬱になったのも、人間て弱いんだなと分かって、よい経験になった。

 

前は人見知りもあって、死にたくなることも多くて、なんでこんな人生って生きづらいんだろう、どうしたら楽になるんだろうってのが、主軸だったけど、人間関係が落ち着いてきて、本来好きだった、理科とか頑張りたくなったんだろな。

 

最近、痴呆症っぽいのが進行してる気がして、ケアレスミスがまた増えてきて、統合力も減ってきてる気がするんですよね。

 

物を見て理解する力が弱まってきてると。

 

頭が正常なうちに、もっと勉強して、世の中をはっきり見えるようになりたいと。

 

特に最近思うのは、美とは何か。

 

人間が美しいと思うものには、色んなものがあって、文化によって違ったりするけど、文化と美のつながりとか、普遍的に皆が美しいと思うものは何かとか、これを美しいと思うのは何故なのかとか。

 

それって、人間とは何なのかに通じると思うんですよね。

 

美しい、美しくないって、ただの物質に勝手に人間が抱く感情ですもんね。

 

でも、美しいものにはいい意味で心動かされるのは確かで。

 

美術と理科から、世界を見たいな。

 

東京の夜はうるさい

今日はなかなか寝つけなくて、そういう時は外の騒音が気になって気になって仕方なくなってきます。

 

たぶん、どこかの家のエアコンの室外機の音が、ポーポーポーとずっとなってて叫びだしたくなる。

 

田舎だったら、鈴虫の鳴き声とか、竹の葉がシャラシャラいう音とか、川の流れる音とかを聞きながら、心地よく眠れるのに。。。

 

都会の人は本当にストレス抱えて生きてますよね。

 

自然の中で暮らしたい。

急に死ぬのが怖くなって眠れなくなった

最近、死にたいとか、死ぬのが怖いとか思うことなく、安定的に生きていられたんだけど、今夜急に死ぬのが怖くなって眠れなくなってしまった。

 

怖くて、怖くて、恐怖が止まらない。

 

恐怖の原因は何なのか、それを今まで乗り越えてきた恐怖と比較して安心できないか…今、それを考えています。

 

心が不安定になった時、現実に生きていることへの実感が薄くなる

 

死について考え出すのは、心が不安定になって、自分の存在に自信が持てなくなったときなのかなと思います。

 

私の場合だと、余裕なく、働き続けて疲れ果てている時とか。

 

受験勉強に必死になって、友達を作るのを忘れていたときとか。

 

体調を崩して、何をやってもうまくいかない、治らない時とか。

 

頑張りすぎて、心に余裕がなくなると、現実を生きている感じがしなくなってきて、生きているとは何なのかと恐怖を感じ、一方で死にたくなる(消えてなくなりたくなる)

 

浮遊している感じ。

 

あれ?私って本当に生きてるのかな?みたいな。

 

消えてなくなりたいけど、死ぬのも嫌だな…みたいな風に死について考えるようになる。

 

弱さを知って満ち足りることを知る

 

だからこそ、無理はしすぎないで、できる範囲で満足する生き方を選択したい。

 

すごく頑張れる人は世の中にたくさんいるけど、私は満足を知る人になりたい。

 

そうは言っても、いざ時間ができると、これでいいのか、なんかもっと頑張れないのかと頑張ろうとしてしまう。。。

 

自分の身体と心の弱さを知って、満ち足りることを知って、できる範囲で本当に自分の喜びとなることに残りの人生を使いたいな。

 

五感で生を信じ込む

 

あとは現実に生きていると実感するために、五感を使って生を体験できるようにしたい。

 

頭だけで生き始めると、身体が現実から浮遊してくるから。

 

頭だけじゃなくて、皮膚感覚、聴覚、嗅覚、そういう、現実に感じるものを身体で信じることで、本当に今ここにいるんだと信じ込むことが大切。

 

人と手をつなぐと安心するのも、そんな意味なんだろうな。

 

頭も五感も幻だと思うけど、頭は幻だということに気がついてしまう厄介なものだから、バカな五感をフルに使うことで、生が安定すると思う。

 

人に信じて愛してもらうこと

 

同様に、自分で自分の存在を認められないときに、他人に信じてもらえてたり、愛してもらえたりすることは、もしかして、本当に生きているのかもしれないと自分の存在を認めるきっかけになる。

 

存在が本当かは置いておいても、愛には愛で応えたいと思い、そのために生きるのも悪くない、そのために死にたくないと思うのも悪くないと思えるようになるんじゃないかな。

 

子供ができたら絶対に死にたくなくなるのと一緒で。死への恐怖は増えるんだろうけど、一方、生への執着も増えるんだと思う。

 

生きてやろう!って。

 

そう、出だしを間違ったけど、生きてるか分からなくなると死にたくなり、死ぬのが怖くなるのは生きたいと思った時なんだろな。

 

つまり、この中間で生きるのが、安定して生きていけるコツなんだろな。

 

体調を崩した時

 

先程も書きましたが、心が折れる大きな要因に体調を崩すというのもあります。

 

私が今日、おかしくなったのは、たぶん不妊クリニックにいって、はじめて、本当に不妊症なのだということが分かったこと。

 

今までは産まないだけと思っていたけど、本当に子供産めないのかもしれないと思った時に、自分の死と同じような感覚を味わいました。

 

他にも、健康診断で内臓が不可逆性の悪化をしていることを知ったことも、死への恐れを増幅しました。

 

今まで子供はそのうち産めるとか、自分は健康とか何も考えずに信じていたけど、そんな自分に腹がたって、昔に戻りたい。

 

何度も早く子供産んだ方がいいと忠告してくれる人もいたのに。。

 

あとは禁酒をはじめて、改めてお酒が自分の体を蝕んでいたことに気が付き、そしてお酒を飲む必要なんてどこにもなかったことに気が付き、もう失われた身体や脳みそは戻ってこないと後悔をしています。

 

死へ向かう体調変化を感じて、これらが一気に今夜、死への恐怖につながったみたいです。

 

以前、引きこもっていたときは、全くよくならない体調、普通の人として、普通に生きていくことがこんなにも大変なことだったのかと思い、それが自分にできるのか分からない不安。生への期待はなく、生への恐怖しかなかった。

 

いつも健康な人には絶対分からない、自分というものへの自信の崩壊を経て、死を身近に感じて、生きたい気持ちの大小によって、生への恐怖になったり死への恐怖になるんだろうな。

 

大自然の驚異に触れた時

 

昨日は海の近くの宿に泊まっていて、海の荒波を見たり、波の音を聞きながら眠ったので、夜中に海に沈んで死ぬ夢を見ました。

 

潜在意識で逆らえない自然への恐怖を感じていて、夢で見たことで意識が顕在化してしまったのだの思います。

 

今日もさっきウトウトしていたら、地震がきた夢を見て、それを現実と誤認してしまい目がパッチリ眠れなくなってしまいました。

 

一瞬にして死を覚悟して、心臓をキュッと縮めるんですが、まだ生きてる…と思うと、いつ死ぬか分からないのに、こんな生き方でいいのだろうかと考えてしまう。

 

今日は久しぶりに車を運転して、スリルを味わったこともあり、さらに、いつ人は死んでもおかしくないということに気がついてしまったみたいです。

 

そうすると、死ぬのが怖いと思っている自分にも気が付き、死後の世界のことまで考えてしまったり、そして、今そもそも何で生きてるんだろうとか、普段考えないようなことまで色んなことを考え出してしまう。

 

そして、考えても分からないことだし、感覚的にはこの世の中に意味のあることなんて何もないと理解しているから、考えれば考えるほど空虚になってしまう。

 

答えのない問題、または正解が「特に意味はない」だから、納得することができない。

 

また、未知への恐怖。

 

知ることは生きること

 

この未知への恐怖、世の中には意味がある、理があると思いたいという欲求が、私が勉強が楽しい理由なんだと思う。

 

急に勉強がでてきたけど、新しいことを知ること、少しずつでも世界の理を知ること、それが私の生きる欲求で、束の間、死を忘れることができる方法なんだと思う。

 

それは、宇宙の成り立ちでも、家の構造でも、人間関係の作り方でも、なんでも、この世に存在する世界の見方で、今まで見てきたけど見えていなかったものが見えてくることは、自分が生きていることの確かさを感じさせてくれるんです。

 

気づかなかったこと、分からなかったことの意味や理が見えてくるとすごく安心できる。

 

今は生や死には、何の意味も理も見いだせないけど、ある日、人生勉強と同じように意味を見いだせるかもしれないという期待を感じるのかもしれません。

 

生と死は表裏一体

 

これまでのことを考えると、生のことを強く意識するとき、死のことも同時に意識してしまうみたいです。

 

頑張って生きなければ、生に執着しなければ、死も怖くなくなるのかもしれないですね。

 

自分に期待しないで、病気なんだから仕方ない、能力ないんだから仕方ない、と、何事においても諦める心を大切に、そのうえで自分のできる範囲でやれることをやれるといいなと。

 

アルピニストは極限の恐怖と孤独を感じることでしか、生を感じることができない。

 

今、生きていることを確かめたいために、自分と向き合うために、山に登る人がいると聞いたことがあります。

 

私とは正反対だなと思いますが、生と死が表裏一体ということは同じなんだと思います。

 

私なんか、山に登らなくても極限の恐怖を味わうことができるんだから、幸せ者なのかもしれない、、、と思いたいですね。

 

今生きていることを感じて、ラッキーと思って、感謝して、満足して、生きていきたい。

 

不安を感じないために、常に新しい発見をして、勉強して、人間として成長しながら生きていきたい。

 

 

さて、ちょっとグルグル考えて、落ち着いたからもういちど寝てみよう。

諸悪の根源はロングスリーパー

私が、以前激しく体調を崩してしまったのも、元はといえばロングスリーパーだったのが問題かと最近思う。

 

一日の徹夜とかはできるけど、その後一週間くらい不調を引きずる。

 

そんな中で、毎日三時間程の睡眠で2年程働いたことは、私の身体を完全に蝕んだみたい。

 

その頃は必死に働いていて、睡眠時間を確保するために家に帰らず会社で寝たり、会社の近くに引っ越したりしましたが、運転中も信号に止まるたび居眠りというかなり非効率な働き方をしてたなと思います。

 

疲れと、毎日の罵倒で、頭も身体も自分では制御できないほどおかしくなりました。

 

自分は何でも気合いと根性でできる人だと思ってたけど、睡眠不足だけには打ち勝てなかったみたいです。

 

最近は、働き方を変えて平日もしっかり睡眠時間をとって毎日7-8時間は寝ているのに、土日も同じリズムにしたいのに、土日で寝すぎてしまって、月曜が辛いということ。

 

会社に毎日通えるようになったのは進歩だけど、なんだか働いてるとき以外寝てばかり。

 

昨日は、16時間くらい寝て、今日も11時間くらい寝てしまった。。寝てようと思えばまだまだ眠れる。

 

なーんか人生損してるなぁー。

 

特に頭をつかったり、気をつかうと、てきめんに睡眠時間が長くなる。

ボヘミアンラプソディ見てきた

結局、私の引きこもり病は逃げなんだよね。

 

人生に希望を見つけるのってとても難しくて、でも、一つの灯台みたいな人を頼って仕事して、認められて、自信を取り戻して、楽しく仕事をしていたんだけど、やっぱり人に頼りすぎちゃうとその人がいなくなったときにダメージ受けますね。

 

やっぱり自分で自分を信頼してあげないと。

 

今日はなんとか普通の生活を取り戻そうと、話題のボヘミアンラプソディを見てきて号泣して、ちょっと人の心が戻ってきた気がする。

 

苦しいことも孤独も、そういうのを感じること自体が人生ですね。

 

フレディも、孤独をドラッグや人で埋めようとして、辛くてもキラキラ輝いてる人生だったのかなと思った。

 

引きこもることも、時には必要だと思うけど、どうせ苦しいなら、逃げる苦しさじゃなくて進んで苦しみたいな。